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大阪地方裁判所 昭和39年(ヨ)2296号 判決 1966年6月23日

申請人 原昌男

被申請人 松下電器産業株式会社

主文

被申請人は申請人を被申請人照明器具事業部勤務の従業員として取扱え。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人代理人は主文同旨の裁判を求め、申請の理由として、次のとおり述べた。

一、当事者

(一)  被申請人会社(以下会社と称する)は、家庭用電器製品の製造、販売を営業目的とし、肩書地に本社を置き、全国各地に製品種目に応じた事業部と、各種製品の販売を担当する営業所とを設け、従業員約四〇、〇〇〇名を使用して右営業をなしている。

(二)  申請人は、昭和二六年九月一日、会社に入社し、本社経理課に勤務したが、昭和二八年二月当時の第五事業所(その後照明事業部と改称し、さらに照明器具事業部と改称し現在に至る。現在の所在地河内市菱江一番地)経理課勤務となり、同年五月同事業所営業課へ転課した。その後昭和三二年八月会社従業員で組織する松下電器産業労働組合(以下組合と称する)中央執行委員に就任と同時に専従休職に入り、昭和三五年七月組合書記長に就任し、以後昭和三八年七月書記長の地位を解任されるまで引続き休職し、解任後は会社照明器具事業部営業課に復職し、開発係の業務を担当していた。

二、転勤命令

会社は、昭和三九年六月五日、申請人に対し、会社北海道営業所(札幌市所在)へ転勤を命じる旨の意思表示(以下本件転勤命令と称する)をなした。

三、本件転勤命令の無効

右転勤を命じる意思表示は次の理由により無効である。

(一)  形式的違反性

従来、会社においては、転勤等の人事異動に際しては、あらかじめ本人の内意を確かめ、その承諾を得るようにし、さらに本人が組合員である場合には組合にもその旨の通告をなした後に行うのが従来の慣行であつた。まして本件転勤命令のように遠く北海道へしかも職務内容の全く異る職種へ配置転換されることは、本人にとつて非常に大きな利害関係を及ぼす事柄であるから、本人の意向を確かめその同意を得たうえで慎重になされねばならないことは勿論である。ところが、本件転勤命令にあたつては、申請人は、昭和三九年六月五日午後四時一五分頃(終業は午後四時三〇分)、会社照明器具事業部長寺脇金二から、口頭で、会社北海道営業所へ転勤するようにとの業務命令を受けたが、これは申請人においては予想もしなかつた突然のことであつたので、同部長に不意に転勤命令が発令される理由、特に申請人が選ばれた根拠、現地に赴任する時期等を質問したところ、同部長から北海道営業所ではS・P(Sales Promotorの略語、会社製品小売店を巡回して製品の販売促進をはかることを職務内容とする)を担当すること、発令は本日付であることを告げられ、ついで翌六日午後一時一〇分頃、右事業部長から六月五日付の辞令を手渡され、さらに同月八日、同事業部総務課長片山義郎から口頭で、六月一五日までに北海道営業所へ出頭するよういわれ、これに対し申請人が一週間の余裕では赴任の準備をすることができない旨申し述べたところ、翌九日同課長はメモをもつて、同月二二日朝礼で全所員に紹介するから二〇日までに着任できるよう準備せよとの指示をなした。このように、本件転勤命令は、本人の意思を無視し、従来の慣行をふみにじつてなされた不当違法な処分であり、従つて無効といわなければならない。

(二)  不利益取扱

申請人は、(イ)昭和二六年一二月一日組合員となり、その後、昭和三一年八月から三二年七月まで組合第五事業所支部(京都支部)支部長、組合中央委員を、(ロ)昭和三二年八月から三五年七月まで組合中央執行委員(専従役員)、電機労連中央委員を、(ハ)昭和三五年八月から三八年七月まで組合本部書記長(専従役員)、電機労連中央委員をそれぞれ歴任し、この間(1)昭和三三年一〇月、三洋電機労働組合の結成を指導し、従業員約六、〇〇〇名の組織化に成功し、(2)昭和三四年一〇月から三五年二月まで、当時会社の全従業員約一七、〇〇〇名のうち約六、〇〇〇名が労働条件の劣悪な臨時工であつたことから、これを本工に登用させるべく活動し、約四、〇〇〇名を本工に登用させ、(3)昭和三五年五月三池争議に際し、組合よりオルグとして参加し、(4)朝日塗装、旭東電機、田中電工等会社の下請企業における従業員の組織化を中心となつて指導するなどの活動を行つていたものである。

このように、申請人は永年労働組合の組織者、労働運動の指導者として、活発に労働運動を行つて来たものであり、労働運動界の重鎮であるところ、会社は申請人が有能、活発な労働運動家であることを怖れ、前記正当な組合活動に対する報復として本件転勤命令を発したものである。このことは次のような元組合活動家(いずれも元中央執行委員)に対する会社の処遇事例に照しても明らかである。すなわち、(1)三木茂は出身職場である神戸営業所に復職すると同時に淡路島地区担当のセールスマンとして常時同島に出張させられていたし、その後は姫路方面の担当者として通勤に片道だけでも二時間近くを要する勤務を強いられ、(2)原野栄昭は申請人に対する本件転勤とほぼ同時期に、従前会社の営業所、駐在所等一切を設けられていなかつた長崎県対島に担当セールスマンとして赴任させられ、(3)新田巍は解任後原職に復帰させられず、会社職制機構上は本社に属するとはいえ、徒歩で一〇分以上はなれまた他に本社支部組合員のいない他事業場の一角に勤務させられ組合員の大部分から完全に隔離されている。また(4)斉藤秀吉については、落選後二年間支部において専従役員に就任したが、昭和四〇年八月専従をはなれる際復職先が容易に決定しなかつたし、賃金も正式に定められず仮賃金のままという異例の措置をとつている。そして、申請人は前記の如く北海道営業所のS・Pに転勤させられたものであるところ、S・Pは、一応営業所に所属するとはいえ、会社製品の各販売会社に常駐するものであり、北海道の場合各販売会社に常駐しているS・Pは、札幌ナシヨナル製品販売株式会社札幌営業所の九名を除くと、零ないし三名である。従つて、申請人は、S・Pとなつた後は、実質上組合活動、労働運動を行い得ない状態となる。このように、本件転勤命令は、申請人から組合活動、労働運動を行う権利を奪うものであるから不利益な取扱である。

右の如く、本件転勤命令は、申請人の正当な組合活動を理由とする不利益取扱に該当し、不当労働行為として無効といわなければならない。

(三)  労働組合の運営に対する支配介入

組合は、昭和二一年一月結成されたものであるが、当初は御用組合的性格が強く、終戦直後の労働運動高揚の時期であつたにもかかわらず、その後の一二年間に僅か二回のストライキを行つたに過ぎない状態であつたところ、昭和三三年四月の春斗の失敗を契機に組合員の中に従前の組合および組合幹部に対する批判が次第に表面化し、昭和三四年七月の第一四回大会では組合本部提案の運動方針が大巾に修正され、また同三五年七月の第一五回大会では組合三役を含む中央執行委員の大部分が改選されるに至つた。かくして組合はその後昭和三六、七、八年の各春斗でいずれも他の電器産業を上廻る賃上げを獲得し、昭和三七年一月には会社が提案した職分制職能給制度に対しこれを低賃金体制維持のための制度であるとして反対しその実現を阻止するなど、労働者の生活と権利を擁護して斗う組合としての性格を強めて行つたが、これに対し会社は組合に対する思想攻撃の武器として発刊した「労政研究」その他の冊子において組合の性格およびその活動について詳細な分析を行い、またこれに対し否定的な評価を加えさらに申請人ほか数名の中央執行委員を共産党員であると指摘し、これら組合幹部に組合が指導されることの危険性を強調し、しかもそれを大会における役員選挙、年末斗争等特定の組合活動に合せて行うなど組合に対する露骨な攻撃をくり返していた。

ところで、組合照明器具支部(会社照明器具事業部の従業員中の組合員で構成されている)の執行委員の選出選挙は毎年六月に行われる慣例である。昭和三九年度もこの慣例に従い、六月六日立候補受付開始、同月二〇日締切、同月二五日選挙の日程が組まれ、組合支部からあらかじめその旨の告示がなされていた。申請人は、以前から支部執行委員に立候補する意思を表明し、立候補受付が開始されれば直ちに届出る予定であつた。そして立候補すれば、申請人の従前の組合活動歴からみてその当選は何人も予想し得る状況であつた。

右の如き状況下において、会社は申請人に対し、前述の如く立候補受付開始日の前日しかも終業一五分前に、北海道営業所への転勤を命じたのであるが、前記会社の組合に対する従前の態度や右異動が従来の慣行に反して行われたものであることを併せ考えると、本件転勤命令は申請人の支部役員選挙への立候補、執行委員への就任を妨げ、さらには従前組合の中心的指導者であつた申請人の組合員に対する影響力を除去し再度申請人を組合指導者に就任せしめない意図の下になされたもので、組合の運営に対する支配、介入に当ることは明らかであり、不当労働行為として無効といわなければならない。

四、仮処分の必要性

以上いずれによるも、本件転勤命令は、違法、無効のものであるが、これに従わない場合、業務命令違反の名目で懲戒解雇される怖れがあつたため、申請人は止むなく同年六月二二日北海道営業所へ赴任した。しかし、前述の如く、申請人は会社内の労働運動は勿論、電機産業界および大阪地域の労働運動においても指導的役割をはたして来たものであるところ、申請人が大阪を遠く離れて北海道へ赴任することは、会社内部、大阪地域の労働運動に著しい損害を及ぼすのみならず、申請人にとつても回復し難い不利益を受けることになるので、本件仮処分申請に及んだ。

被申請人代理人は、「本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は申請人の負担とする。」との裁判を求め、答弁および主張を次のとおり述べた。

一、事実の認否

(一)  申請理由一の事実は認める(但し、会社の擁する従業員数は昭和三九年五月二〇日現在三〇、四〇六名である)。

(二)  申請理由二の事実は認める。

(三)  申請理由三、(一)の本件転勤命令に関する経過のうち、会社照明器具事業部長寺脇金二が、昭和三九年六月五日口頭で、申請人に対し会社北海道営業所へ転勤するよう意思表示をなしたこと、同月九日総務課長が申請人に対し二〇日までに着任できるよう準備するようにとの指示を行つたこと、従前会社において社員を転勤させる場合には事前にこれを内示し本人を充分納得させたうえで発令するのを例としていたこと、本件転勤命令については事前の内示は行われなかつたことは認めるが、その余の事実は争う。

(四)  申請理由三、(二)の事実のうち、(イ)ないし(ハ)の申請人の組合経歴の部分は認める。(1)ないし(4)の申請人の主な組合活動歴の部分は不知。その余の部分についてはこれを争う。なお、申請人の主張する元組合役員の復職後の経緯は次のとおりである。(1)、三木茂は神戸営業所に復職後販売促進課主任として販売促進員(S・P)を指導監督する立場にあつた。淡路島担当ではあつたが常時同島に駐在していたのではない。その後姫路地区販売会社の経営助成、指導を担当することとなつたが、このような業務は営業所の主力業務であり、しかも同人の勤務場所はあくまで神戸営業所であつて、毎日同営業所へ出勤したのち姫路地区を巡回するものであり、また同営業所は兵庫県全域を担当区域としており、同人だけが遠方へ出張するわけではない。(2)原野栄昭は出身事業場である広島特機営業所に復職し、同営業所管轄下の岡山出張所に勤務していたが、昭和三九年五月同出張所閉鎖に伴い同人の出身地福岡県福岡営業所へ転勤させたものである。なお営業所内の配置権は所長にある。(3)新田巍は本社弘報課の出身であるが、本人は同課への復職を希望せず一方中学卒の社員である関係で本社内に適当な職場を見出し得ず苦慮した結果現在の職場に復職させたのである。同人の現在の勤務場所は本社の建物を含む同じ会社構内であり、本社機構の大部分を収容する建物と同人の職場との距離は歩いて五、六分に過ぎず、すぐ隣接の建物には、労働組合の同じ本社支部に属する組合員が勤務する計算センターがある。(4)斉藤秀吉はテレビ事業部の出身であるが、専従期間が九年間という長期にわたり、その間電気技術就中テレビ関係の技術水準に長足の進歩がみられた関係で同人の技術者としての能力は第一線に役立たない事情にあつたので、復職先の調整に苦慮したが、現在はテレビ事業本部技術部の部長付の地位にあり、機構関係の開発技術を勉強中である。なお、給与についても、同人の業務能力、経験年数から決定すれば専従中の手当より相当低くなるのが当然であるが、同人の立場を考慮し、現在は専従中組合が支給していた手当と同額の給与を決定し、支給しているのであつて何ら非難されるべき点はない。

(五)  申請理由三、(三)の事実のうち、組合照明器具支部における役員選挙に関する部分は不知。会社が同支部の選挙施行期日を知つていたとすれば、かかる誤解を招くおそれのある時期に転勤の発令をする筈がない。会社が組合および組合幹部に対する攻撃を行つていたとの点および本件転勤命令が組合の運営に対する支配介入を目的として行つたものであるとの点はいずれも否認する。なお会社は従前から労働組合を尊重するとの態度を一貫してとつており、組合の性格如何により異つた取扱をしたことはない。また昭和三六年から三八年にかけて会社従業員の昇給率が他社のそれを上廻つたことは事実であるが、このような現象は右時期に限られるものではない。会社は従業員の労働条件改善については常に最大の努力をなしており、その結果会社は今日まで業界一の高給与水準を保持し労働時間についても週五日制を採用し、その他従業員に対する諸種の福祉政策を実施しているのである。そして、これらはいずれも労使の理解と協力の中から生み出されたもので、申請人主張の如く組合の斗争の結果によるものではない。また会社が職分制職能給の提案を撤回したのは、これについては労働組合の充分な理解と協力を得て実施することが最良であると考えたことおよび会社内部においてもなお検討準備の余地が残されていたことによるものである。「労政研究」を発刊したのは、昭和三〇年頃から会社の業容の発展に伴い毎年多数の新規採用が行われ、従業員の相当部分が新入社員で占められるという現象がみられたことから、会社としては新旧社員の間の意識の断層を埋め、新しい社員に会社の経営基本方針の理解と徹底をはかり、全社員一致して業務に邁進することの必要性を痛感し、そのためには人材の育成は単に人事担当部門だけの仕事としてではなく、日常の業務を通じて行われるべきであるとの見地から全管理監督者にこの点の自覚と協力を改めて要請しそのための資料を提供する目的をもつてこれを刊行することとしたものであり(従つて、その対象も非組合員である課長以上の幹部社員と人事担当の主任以上に限られていた。なお、組合本部役員に対しても特に配布してその批判を乞うていた)、申請人主張の如く組合活動に容喙しこれを攻撃するためのものではない。

(六)  申請理由四の仮処分の必要性に関する事実のうち、申請人が六月二二日北海道営業所へ赴任した事実は認める。申請人の労働運動に関する部分は不知。その余の主張については、これを争う。

二、本件転勤命令の有効妥当性について

(一)  会社社員就業規則第五二条には、「会社は業務の都合または人事交流上必要ある場合は社員に対し異動(転勤、職場異動、出向、派遣または駐在)を命ずる。前項の異動に伴ない特に障害が生じる場合にはその障碍事項について人事担当課長に申出ることができる。異動に伴なう必要なる業務引継ぎは所定の期間内に完了し、その結果を前任部署の所属長に報告しなければならない。」と定められており、社員たるものは、これに基いた異動命令には服する義務があるもので、このことは労働組合役員たる社員についても何ら変るところがない。なお、右規則にいう「異動に伴ない特に障害が生じる場合」とは、異動命令を受けた者の個人的な事情、例えば子女の通学の問題、住宅の事情等の一身上の私事に関する事情であつて、本人が偶々労働組合の役員たる地位にあり、本人の異動が労働組合として障害事項となることは含まれないのである。もつとも、会社においては、右規則により異動(転勤)させられる本人の意向を打診することは不必要なのであるが、従前よりの方針として、異動(転勤)の必要性、本人の将来等について充分説明を加え、本人がよく納得したうえで異動(転勤)命令を発することが結局会社および本人の双方にとつて好ましいとの見地より、赴任日前に内示することを例としているけれども、そのことから内示することなく発令することを一切しない趣旨ではなく、また本人が希望しない異動(転勤)は一切行わないことを意味するものでもない。

(二) 会社が本件転勤命令をなすに至つた経緯は次のとおりである。すなわち、会社は、昭和三九年六月五日、会社照明器具事業部長をして、申請人に対し、口頭で、転勤すべき旨の意思表示をさせ、翌六日同事業部総務課長片山義郎をして申請人に対し、会社社長名の辞令を交付させた。また転出先の北海道営業所より照明器具事業部に対し、六月五日以降一日も早く赴任させるようにとの強い要請があつたので、同総務課長は、当初は六月一五日までに新任地へ赴任するよう指示したが、申請人の要請があつたため一週間延期し、六月二二日に赴任せしめることにしたものである。従つて、本人に対する意思表示の日から赴任日まで一七日間の余裕を与えているのであつて、独身者たる申請人にあつては、この期間は赴任の準備期間として充分のものである。また照明器具事業部は、照明器具すなわち螢光灯器具、螢光灯スタンド等の販売を担当する事業部で、従業員数約六〇名であるが、そこで扱う製品は、朝日電器株式会社その他の協力会社において生産したものを一括購入し、これを前記会社営業所を通じて販売するのであつて直接製造は行つていない。申請人は、昭和三二年七月専従休職に入る以前より、照明事業部にあつて販売業務を担当しており、昭和三八年復職後も、照明事業部が名称変更した照明器具事業部営業課にあつて販売業務を担当していた。本件転勤後の北海道営業所にあつても自ら販売するか否かは別として販売業務の一環としての業務を担当せしめることを予定しているのであるが、かかる業務は申請人の過去の業務経歴と極めて密接な関連を有する業務である。なお、最近の家庭電機業界は毎年飛躍的な発展を続けていたのであるが、ここ二、三年来安定需要期を迎えるに至り、一方同業の大手メーカーは重電機部門等の業績不振を家庭電機部門において挽回しようとして、家庭電機部門の販売に従来以上に積極的に進出して来た結果、販売競争は一層熾烈化し、販売制度等においても新しい施策を打出し強力な販売活動を推進していく必要があり、このような実情に鑑み、会社においては、昭和三七年九月以降、各営業所に対し相当数の人員を会社各事業部より転出せしめ、第一線の販売活動に当る営業所の強化拡充を開始した。しかしながら、営業所において販売業務を担当せしめる社員は、相当の社内経験、識見、販売に関する業務知識を有することが必要とされるのであつて、配置転換によつて他部門から直ちに補充することはむつかしく、しかも会社の擁する三万名を超える従業員はその大半が中学卒の作業員であり、その余の者といえども各々の事業場において必要性があつて配置しているのであつて、人員の捻出を予定どおり行うには種々困難があり、昭和三九年六月現在ようやく数百名を新しく増員し配置したにとどまつている。このような事情から、照明器具事業部に対しても、会社本社より人員供出を指示し、申請人ほか一名を昭和三九年六月営業所に転出せしめたのであるが、これに申請人を含めたのは、同人が数年におよぶ組合本部役員としての経験から対人接渉的業務に適性があると判断されたこと、昭和三八年七月以降一年間の勤務実績から判断して極めて優秀な業務能力を有するので、第一線の営業所における活躍が十分期待し得たこと、専従休職期間を含むとはいうものの、昭和二八年以降照明関係の事業部に勤務していたので、異動により職場を変更することが本人の将来性にとつて好ましいものと判断されたこと、照明器具事業部における販売業務の経験を通じて営業所の販売業務に従事させることが、販売業務を一層幅広く経験することとなり、本人の将来に役立つものであること、および照明器具事業部の人員構成よりみて、申請人を転出せしめることが適切であると判断されたこと等を綜合検討した結果である。

以上のとおりであるから、本件転勤命令は有効であり、申請人の主張は何ら理由がない。

三、仮処分の必要性に関する申請人の主張について

申請理由四の仮処分の必要性に関する主張のうち申請人の労働運動に関する部分が仮に事実であるとしても、北海道営業所には組合北海道支部があり、組合員たる地位に変更を見ないのであるから、申請人の組合活動に障害を来たすものではない。従つて、組合活動にとつて回復し難い損害を与えることを理由とする仮処分の必要性は全然存しない。(疎明省略)

理由

一、転勤命令等

会社が家庭用電器製品の製造、販売を営業目的とし、肩書地に本社を、また全国各地に製品種目に応じた事業部と各種製品の販売を担当する営業所を設けて現に総数三〇、〇〇〇名を超える従業員を雇傭していること、申請人が昭和二六年九月一日会社に入社してのち、本社経理課勤務を経て昭和二八年二月当時の会社第五事業所経理課に転じ、さらに同年五月同事業所営業課に移転して勤務中、昭和三二年八月組合専従役員に就任したことに伴い休職となり、昭和三八年七月その地位を解任されるまで専従休職を続け、解任後は、前記第五事業所の後身で河内市菱江一番地所在の会社照明器具事業部営業課に復職し、開発係の業務を担当していたこと、会社が昭和三九年六月五日申請人に対し、照明器具事業部長寺脇金二を通じ口頭で、札幌市所在の会社北海道営業所へ転勤を命じる旨の意思表示(本件転勤命令)をなしたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、支配介入の成否

まず、本件転勤命令が、申請人の組合照明器具支部役員への就任を妨げ、さらに従前組合の中心的指導者であつた申請人の組合員に対する影響力を除去する意図の下になされた組合運営に対する支配介入行為に当るか否かの点について判断する。

(一)  申請人が、昭和二六年一二月一日組合員資格を取得してのち、昭和三一年八月から三二年七月まで組合第五事業所支部(京都支部)支部長、組合中央委員を、昭和三二年八月から三五年七月まで組合中央執行委員、電機労連中央委員を、昭和三五年八月から三八年七月まで組合本部書記長、電機労連中央委員をそれぞれ歴任し、なお昭和三二年八月以降三八年七月までは、組合専従役員として組合業務に専従していたことは当事者間に争いがない。そして、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は、かねて活発な組合活動家であり、特に昭和三二年八月組合中央執行委員に就任して組合専従者となつた後は、会社の傍系企業である三洋電器における労働組合の結成、従来会社内で本工に比し低い労働条件に置かれていた約六、〇〇〇名の臨時工の本工への登用、会社の下請企業における未組織労働者の組織化等をめぐる諸斗争において、指導的かつ中心的役割を果しかなりの成果を挙げるなど積極的な組合活動を継続していたこと、昭和三八年七月組合本部書記長選挙に落選したため、組合の一切の役職から離れて原職場に復帰したが、その後においても組合の運営やその活動に深い関心を抱き、再度組合役員に就任したい意向をも有していたことが認められる。また成立に争いのない甲第九号証の四、第一〇号証の二、第一二号証の二、三、第一三ないし二一号証の各二、証人斎藤秀吉の証言、申請人本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、組合は、昭和二一年一月三〇日会社従業員を以て結成された単一組合で、会社の従業員は一部職制を除いてこれに加入し、昭和三九年当時には三〇、〇〇〇名を超える組合員を擁していたこと、その組織機構としては中央に本部が、また各事業場に対応して支部が置かれ、本部役員は毎年一回開催される大会において各支部から組合員数に応じて選出された代議員の投票により選出し、支部役員は毎年一回支部所属組合員の投票により選出するものとされていること、ところで組合は結成後一〇年余の間は企業内組合に通常あり勝ちな比較的穏健でまた妥協的な行動傾向が多くみられたが、昭和三三年頃からその活動が次第に活発化し、春斗等の経済斗争において長期にわたるストライキをしばしば行つたほか日常の組合活動も強化され、その過程においても会社構内で坐込みをなす等の実力行使を行い所謂斗う組合としての性格を次第に強め、また組合の内部組織の強化をはかる一方会社の関連企業の従業員の組織化、同種企業の組合との連繋の強化にも積極的に努力し、電機産業組合の全国組織である電労連の中でも最も先進的な組合としてその存在を重視されるようになつたこと、そして昭和三五年七月の組合年次大会においては本部役員が大幅に改選され、申請人を含む積極的な組合活動家が主要役職に選出されるに及び、組合は右の如き傾向をさらに強めるようになつたこと、しかしこのような斗争重視的な組合の行動傾向は申請人ら一部組合指導者の積極的な指導に負うところが多かつたため、これに同調し得ない一般組合員からの批判が次第に強くなり、結局昭和三八年七月の大会では従前の役員が大幅に改選される結果となつたこと、一方会社は、組合が前記のように斗争的な性格を強め過激な行動傾向も見られるに及び、それが職場の秩序を阻害し、健全な労使関係の樹立を妨げるものと憂慮し、労政研究等の社内誌を通じて再三その危険性を強調し、また組合指導者の動向についても強い関心を示し、これを左翼斗争至上主義者であるとして、組合がこれに指導されている現状を批判し、また組合役員の選挙については本部、支部を問わずその結果に注目し、当選した役員の行動傾向についても前記社内誌で論評を加えるなどしていたことをそれぞれ認めることができる。

これらの事実関係に照して考えれば、会社は昭和三三年頃から顕著となつた組合の斗争重視的な行動傾向について会社秩序の維持、健全な労使関係の樹立を妨げるとの見地からこれを好ましくないものと考え、また組合が申請人ら積極的な組合活動家に指導されることは危険であると判断し、一旦本部役員の地位を離れた申請人らが再び組合の指導的地位に復帰することを希望しない態度であつたものといわなければならない。

(二)  そこで、本件転勤命令の経過に立ち入つて検討するに、成立に争いのない甲第一、二号証、証人片山義郎、同桑野泰次郎、同寺脇金二の各証言および申請人本人尋問の結果を綜合すると、会社人事部は、昭和三九年六月四日、照明器具事業部所属の申請人および小椋某に対する人事異動を決定し、直ちに桑野人事一部長が電話によりその旨を寺脇照明器具事業部長を経て申請人に伝えようとしたところ、偶々当日は同事業部長が名古屋へ出張し不在であつたため、翌六月五日午後電話で同事業部長に対し申請人を北海道営業所へ、小椋某を奈和営業所へそれぞれ転勤させる旨の異動命令を伝達したこと、そこで寺脇事業部長は同日午後四時頃申請人に対し右転勤命令のあつた旨を伝え、また翌六月六日同事業部片山総務課長は申請人に対し同月五日付の転勤辞令を交付したが、その際六月一五日までに北海道営業所へ赴任するよう指示したこと、これに対し申請人より一身上の都合で赴任時期を延ばして貰いたい旨希望申出があつたため、同総務課長において本社を通じ北海道営業所と交渉した結果、その後同営業所から同月二〇日までに着任するようにとの連絡があつたことからその旨申請人に伝えたこと、申請人は本件転勤命令に不服であつたが業務命令であることから止むなくこれに従つて指示された赴任時期に北海道営業所へ赴任したことが認められる。

ところで、従前会社においては従業員を転勤させる場合事前にこれを本人に内示し、十分納得させたうえで発令するのを例としていたこと、本件転勤命令については事前の内示は行われなかつたことは当事者間に争いがない。従つて、本件転勤命令は従前の会社内の慣行に反する形式で発令されたものであるところ、証人五百森恵の証言、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は、北海道営業所へ転勤後一ケ月間は教育期間と称して特定の部署に配置されず、しかもその間特定の計画に従つた教育、訓練は何ら行われなかつたこと、そのうち昭和三九年七月二一日付で北見市所在の会社製品販売会社である北見ナシヨナル製品販売株式会社に出向を命ぜられ、同年一一月二一日付で同会社常務取締役に就任し現在に至つていることが認められ、他に右認定に反する疏明はないので、本件転勤命令当時、受入側の北海道営業所において特定の部署について緊急に人員を補充する必要が生じていたものとは考え難く、従つて従前の会社内の慣行に従い事前に異動命令を申請人に充分了知させたうえ発令する時間的余裕は十分あつたものといわざるを得ない。尤も、後記認定の如く、本件においては本社人事部より照明器具事業部に対し営業所要員二名転出の要請をなしたのに対し、照明器具事業部側は、同事業部が人員の少ない事業部であるため、二名の人員を転出させた場合その後の業務に支障を来たすことも予測されたことから、本社からの要請であれば最終的にはこれを拒否し得ないものと判断しながら、できればこれを回避したいと考え本社側の再考を懇請して不明確な態度を示していた事情がうかがわれるが、この点は右事業部からの営業所要員転出が業務命令によらなければ解決されない段階にあつたことを推認させる根拠にはなり得るとしても、転勤命令を受ける申請人に対する事前の内示を妨げる理由にはなり得ないものであり(なお、証人桑野泰次郎の証言中申請人の転勤が昭和三九年六月四日五百森北海道営業所長が本社へ出張した際の桑野人事一部長との話合いにおいて急遽実現されることとなつたとの点は証人五百森恵の証言に照らしてたやすく信用することができない)、他に本件転勤命令が事前の内示を経ずに発令されたことを首肯させるに足りる疏明は存しない。

一方弁論の全趣旨により成立の認められる甲第七号証、証人五百森恵、同片山義郎の各証言、申請人本人尋問の結果によれば、組合照明器具支部の役員選挙は毎年組合本部大会(毎年七月に開催)前の六月に行われる慣例であるところ、昭和三九年度もこの慣例に従い六月六日立候補受付開始同月二〇日締切同月二五日選挙の日程が組まれ、同月一日頃よりその旨の掲示が照明器具事業部内の組合掲示板になされていたこと、申請人は、昭和三八年七月組合本部書記長選挙に落選して出身事業場である照明器具事業部に復帰したが、その際には同年度の支部役員選挙終了後であつて支部役員就任の機会を逸したため、前記昭和三九年度支部役員選挙に立候補することを決意し、同年五月下旬頃、組合支部長等にその意向を漏らしたこともあつたこと、なお、会社の事業場のうち従業員数の多い事業部はその大部分が大阪府下就中門真、守口両市近辺に設けられていることもあつて、従業員従つて組合員の大部分は大阪府下で勤務していること、一方北海道営業所は従業員約一三〇名であり、また北見ナシヨナル製品販売株式会社は従業員約三〇名でそのうち組合員は申請人を含めて四名(いずれも北海道営業所からの出向社員)に過ぎず、申請人は転勤後は実質的には殆んど組合活動を行い得ない現状にあることがそれぞれ認められる。

(三)  以上のように、本件においては、本件転勤命令が従来の慣行に反し急遽発令されたものでしかもこの点を首肯させるに足りる特段の合理的理由も存しないこと(成立に争いのない乙第二号証によれば、会社社員就業規則第五二条には被申請人主張のような定めがなされており、これによれば転勤命令につき事前の内示、同意を必要としないものであることが認められるが、この点も右認定に支障を来たすものではない)、また発令が組合照明器具支部の役員選挙の立候補受付開始日の直前になされていること(会社が右支部の選挙の施行及びその選挙の際は申請人において立候補する旨その意思を表明していることを知つていたことは、前記認定の会社が従来組合の役員選挙の経過に特別の関心を有していたこと、右支部役員選挙の公示の状況などに照して推認するに難くない)、さらに会社が従前の組合の行動傾向、組合指導者に対し拒否的態度をとつていたこと、申請人は従前の組合の中心的指導者の一人であること、本件転勤により申請人が組合活動を行うことは実質的には殆んど不可能となつていることなどの諸事情が認められ、これらにより本件転勤命令につき会社に組合運営への支配介入意思の存したことを推認することができる。

そこで、次に、被申請人主張の本件転勤命令は会社内における営業所要員充実の方針に従いその一環として決定されたものであるとの点について検討を加えるに、成立に争いのない乙第三、四号証、証人五百森恵、同桑野泰次郎、同寺脇金二、同片山義郎の各証言を綜合すると、会社は各事業部、営業所を全国各地に有するほか多数の事業場を擁しており、この大規模な経営機構に即応して従前から会社内での社員の異動も広範囲に行われていること、ところで、会社においては、経営規模の拡大に伴い、製品種目も多様となつたため、その販売面において従前の電器業界の販売経路だけに頼り得ない実状となり、新しい販売経路の開発が必要となつたこと、また同種企業間の販売競争に対処する方策として、商品市場への配慮を徹底させる必要も生じたことなどから、昭和三七年七、八月頃、会社の販売面の第一線を担当する各営業所の人員を充実する方針を決定し、この営業所要員充実の方針を具体化するため、当初全営業所を通じて約一、〇〇〇名の人員を増員配置する計画が樹てられ、その要員確保の方法としては、第一次的に製造事業部の管理部門を合理化し、さらに各事業部の社員のうち営業適任者を選定して営業所に配置することとし、本社人事部より各事業部に対し、文書または口頭により右要員推せん方の指示がくり返されたが、各事業部における営業適任者の数にも制約があつて、昭和三八年末までに六〇〇名余の要員を確保したに止まり当初の目標に達しなかつたこと、申請人の所属していた照明器具事業部は、会社の下請企業で製造した照明器具を会社製品とし、その販売面だけを担当する販売事業部であつて、製造部門を有しないことから、他の事業部に比し人員が少く本件転勤命令当時約六〇名に過ぎなかつたので、右営業所要員推せんについても、他の大規模な事業部に対してとは異なり、当初は人員数を指定せず一般的な要請がなされるに止まつていたところ、昭和三九年初頃からは、少くとも二名の主任級の者を営業所要員として転出させるよう具体的な要請がなされるに至つたが、照明器具事業部側としては、もともと人員の少い事業部のこととて、二名の人員を転出させた場合その後の業務に支障を来たすことも予測されたことから、本社よりの要請であれば最終的にはこれを拒否し得ないものと判断しながら、できればこれを回避したいとの見地から、本社側の再考を懇請して不明確な態度を持続していたこと、一方会社北海道営業所からは昭和三九年三月中旬頃より第一線の販売活動の責任者にふさわしい主任級の者を含めた営業所要員の充実を本社に要請していたこと、なお照明器具事業部には当時主任一一名のほか申請人をも含めこれに準ずる者数名が配置されており、他事業部に比し主任者層が多いという現象がみられたことがそれぞれ認められる。しかし、会社人事部において、照明器具事業部の主任者層のうち特に申請人が北海道営業所の営業所要員として適任であると判断し、その転出を決定するに至つた経過については、この点に関する証人桑野泰次郎、同寺脇金二の各証言はたやすく信用し難く、他にこれを合理的なものと首肯するに足りる疎明は存しないところである。

(四)  以上の諸点に前記転勤命令発令の経過を併せ考えれば、本件転勤命令は、会社が従前の組合の中心的指導者の一人である申請人が組合照明器具支部の役員選挙に立候補する意向であることを知り、直接的には申請人が組合照明器具支部の役員に就任することを妨げ、さらにはその後行われる大会での本部役員への当選を阻み、申請人の他の組合員に対する影響力を減殺、除去する意図の下に急遽これを発令したもので、組合運営に対する支配介入(会社の意図が右のようなものと認められる以上申請人が本件転勤命令当時組合の役員ではなかつたこと、また照明器具支部自体は組合員数約六〇名で同支部が組合全体の動向に及ぼす影響力はさほど大きくないことは支配介入の成立を妨げる事情とはなり得ないものというべきである。本件においては会社が組合全体の動向に影響を及ぼす意図の下に本来自主的に決定さるべき組合運営に介入した点を重視しなければならない。)にあたることは明らかであるから、申請人のその余の主張について判断するまでもなく不当労働行為として無効である。従つて、申請人は依然会社照明器具事業部の従業員としての地位を有するものと結論するのが相当である。

三、仮処分の必要性

そこで、仮処分の必要性について検討するに、前記の如く申請人は従前から活発な組合活動家であるところ、本件転勤命令により三〇、〇〇〇名を超える組合員の大部分が勤務する大阪府下の事業場から組合員数一三〇名程度の北海道営業所へ、さらに組合員数僅か四名の北見ナシヨナル製品販売株式会社へ異動させられたもので、申請人は転勤後殆んど組合活動を行い得ない現状におかれていることが認められ、また組合本部役員は大会における代議員の選挙によるものであることは前記のとおりで申請人にも本部役員への立候補の途は残されているとはいえ、右選挙で当選することは日常の積極的な組合活動なしには殆んど不可能であることは容易に推認し得るところであるから、本件転勤命令は事実上申請人から組合活動の機会を奪うことになり、延いては申請人の組合活動家としての将来を失わせることにもなり、本案判決の確定をまつていては申請人が回復し難い不利益を受けることは明らかである。従つて、会社に対し申請人を従前の職場である会社照明器具事業部勤務の従業員として取扱うよう命じる仮処分の必要性を肯定せざるを得ない。

四、結論

以上の次第で、申請人の本件仮処分申請は理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 富田善哉 田中貞和 弘重一明)

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